包茎手術にまつわる、ここだけの治療話!TOP>日本の包茎手術・治療事情とその歴史
大昔の日本の包茎事情に関しては、現在ほとんど記録が残っていません。ただ神社などの祭礼で「男根」を豊穣・子宝の神様として祭ってあるところでは、全ての男根はむけた陰茎である。古来男根はむけた状態なのが正しいと思われていたようです。
江戸時代も中世同様に包茎事情に関する記録は少ないです。ただ、世界で初めて全身麻酔の外科手術をおこなった江戸時代の外科医・華岡青洲が、坊主の包茎を手術してあげて喜ばれたという記録が残っている。禁欲が旨の坊主が包茎を治療する必要があったのか…はともかく、包茎を治すという行為は江戸時代には存在していたようだ。
また、江戸時代の性風俗がわかるものと言えば「春画」ですね。春画は浮世絵の一種で男女の性交場面を描いた絵画です。江戸時代には誰もが知っている有名な浮世絵師「葛飾北斎」「喜多川歌麿」「菱川師宣」なども多くの春画を残している。春画は写実的でなく男根なども大きくデフォルメされているが、それだけに形状がわかりやすくなっている。そのような春画に描かれている男根も全てむけた状態の陰茎である。陰茎はむけた状態が正常であると思われていたようです。
日本は古来よりむけた陰茎が正常であるという認識をもっていたと思われますが、陰茎自体は「ふんどし」の中に隠してある状態ですから「包茎だから恥ずかしい」という意識をもつことは少なかったと思います。しかし近代に入り男性が陰茎を気にする出来事が始まります。
俗に「M検」と呼ばれるものです。明治から大戦前までおこなわれた男性の生殖器の検査です。これは軍隊に入るための徴兵検査や学校に入学するための検査としておこなわれました。主な目的は「性病検査」でした。当時は遊郭があり性病に罹患する者がいたからで、軍隊に入り共同生活で部隊に性病が広まってしまったら一大事ですし、学校は遊郭に出入りする不真面目な学生は入学を許さないという姿勢からでした。真性包茎なども衛生上問題があるので治療の対象とされましたが、仮性包茎だからといって問題にされることはなかったようです。経験者に聞くと検査場には婦人もいて全裸になるのがちょっと恥ずかしかったそうです。
では現在のように仮性包茎でも包茎手術を受けるようになってしまったのはいったい何故でしょうか? それは昭和50年代から「包茎撲滅キャンペーン」が始まったからでした。このキャンペーンは凄まじく、ありとあらゆる男性雑誌に「包茎は不潔!」「包茎は女性に嫌われる」「わずか30分足らずで包茎とおさらば!」と、記事のような広告を記載しはじめ、若者のコンプレックスを煽りたて、レーザークランプ法という手軽な包茎手術を推奨するものでした。それまでは漠然と皮がかぶっていてチョット恥ずかしいぐらいだったのが、包茎は一日も早く治すべきものに替わってしまったのでした。
もちろん、ここまで日本に包茎手術が流行したのには訳があります。それは
(1)性の自由化
(2)包茎は恥とする文化的な土壌
(3)清潔好きな国民性
にあります。(1)は少し言葉に語弊がありますが、戦前はもちろん、戦後もしばらくは「性交渉は結婚相手と」というのが普通の女性だった。男女交際はうるさく、結婚はお見合いの割合も高かった。しかし昭和も4、50年代ぐらいから考え方が大きく変って恋愛結婚の割合が高くなり、それにともない婚前交渉も普通のことになっていきました。以前なら結婚相手の陰茎しか見たことが無い女性が多かったのに、自分と比較できる対象を知っていることになったのです。つまり女性が包茎の知識をもってしまったのです。
(2)は上記の通り日本では古来からむけた陰茎が普通と考えられてきた土壌がありますから、包茎は治療するものという考えは受け入れやすかったのでしょう。そして(3)はわかりますね。日本人ほど風呂好きの国民は世界をみてもおりません。最近は清潔を通りこして潔癖な方まで現れる始末です。
さて、こんな状況の時に「包茎は女性に嫌われる」と宣伝されたら、誰もが包茎を治したくなりますよね。まさにキャンペーンをうった側の勝利です。このキャンペーンを計画したのが高須クリニックの高須院長です。御本人も認められています。最盛期には1日に300名近く皮を切りまくったそうですよ。この時期は仮性包茎にような国に病気として認められていない症状は、どの病院でも手術してもらえませんでしたら、包茎を治すには美容外科に行くしかありまえんでした。包茎は美容外科で治すものだったのです。
こんなに患者さんが多いなら新規参入がでてきます。美容外科の病院の弱点は女性の患者さんが多く、またスタッフも女性がメインで男性は少し恥ずかしかったことです。そのため包茎手術の専門病院が誕生したのです。
この時期に包茎治療クリニックとして誕生したのが、「イーストクリニック」「大山クリニック」「ニシクリニック」「新宿形成外科」「ウエストクリニック」などでした。この時期の包茎クリニックは全国展開などはせず、個人病院の域を出ませんでした。そのため後から誕生し、積極的に多店舗展開する包茎クリニックに徐々にその地位を奪われてしまいます。
神奈川県の川崎市・京急川崎駅の近くに泌尿器科のクリニックとして開業していたのが神奈川クリニックでした。包茎手術希望の患者さんが全国的に増えてきているのに目をつけ、男性雑誌に積極的に広告を掲載、そして地方の中核都市にも多店舗展開を果たすようになります。広告を出す雑誌は全国誌なので広告のロスをふせぎ、高額になった宣伝費を賄うためにも分院は必要だったのです。瞬く間に全国に神奈川クリニックが誕生し「包茎手術といえば神奈川クリニック」というカナクリ黄金時代が始まります。時期は昭和の終わりから平成へと移り変わる時期でした。この時期に神奈川クリニックに続けとばかりに誕生した包茎手術専門クリニックは「上野クリニック」「山の手形成クリニック」「東京ノーストクリニック」「三井形成クリニック(現・中央クリニック)」「コムロ美容外科」などでした。
ところが、この時期の美容外科の世界に大きな変化が現れます。「プチ整形」の誕生です。今までは一部の女性の間でしか流行らなかった美容整形が手軽に誰でも試すことができるようになったのです。その影響は包茎手術業界にも及びました。
業界の首位を独走していた神奈川クリニックが美容外科の世界へと業態を変更してしまったのです。この流れはその後も続き「中央クリニック」「コムロ簿用外科」なども美容外科の世界に行ってしまいました。そして包茎手術業界にとどまったクリニックの中から今までの神奈川クリニックの地位についたのは皆さんも御存知の「上野クリニック」なのです。
上野クリニックは神奈川クリニックと同じように全国に分院を展開するとともに、画期的な包茎治療法を誕生させ、世の中の包茎に悩んでいても包茎手術まで踏み切れないでいる患者さんの掘り起こしに成功します。「切らない包茎手術」の誕生です。この時期の包茎手術業界は寡占状態でした。通常、儲かる業界には新規の参入がおこり競争によって治療費が安くなったり淘汰が発生しますが、この業界は発生しなかったのです。
何故なら、この時期の患者の集客手段は雑誌広告しかありませんでした。この時代はまだネットは存在せず、雑誌の黄金期でした。そのため雑誌社の力は強く、包茎手術専門クリニックの広告は受け付けない雑誌や、受け付けても院数を限定したりされ、希望すれば自由に広告をうつことができなかったのです。まさに大きな参入障害があったのです。
この時代はまさに包茎手術専門クリニックの黄金時代といってよいでしょう。平成15年くらいまではこれが続きます。
平成10年以降ぐらいから包茎手術専門クリニックの宣伝手段が変ってきます。それまでは雑誌広告がメインでしたが、雑誌が売れなくなってきたのです。変わって登場したのがインターネットでした。年々そのウェイトは大きくなっていきます。それに伴い包茎手術業界に新規参入が発生します。ネットの世界はお金させ払えば比較的自由に広告をうつこができます。また雑誌が売れなくなったので、それまで包茎クリニックの広告には見向きもしなかった売れ筋の雑誌が広告枠を開放し始めたのです。
この時期以降に新規参入したクリニックは「ヒルズタワークリニック」「ABCクリニック」「東京スカイクリニック」などです。
包茎手術業界にとって痛手なのは雑誌が売れなくなったことが大きいようです。それまで雑誌に包茎手術の広告さえ載せていれば、雑誌を買った人は包茎に興味がなくても目にする機会が出てきます。「包茎は女性に嫌われる」というイメージを刷り込むことができます。でもネットでは包茎を調べようとすれば具体的・詳細に調べることができますが、興味がないことには見向きもされません。
平成20年以降は包茎患者の頭打ち状態になっています。限られた一定の大きさのパイを数院で争っている状態です。
そのため包茎手術専門クリニックでは今まで分院を積極的に展開していましたが整理統廃合するところが出てきました。また、それまで比較的高値で安定していた治療費の価格が表向きは安くなりました。そして患者数が頭打ちなので新規参入もなくなり包茎手術業界自体が安定期に突入し、現在に至っています。